集合的無知とは?【社会的証明】

私たちは、自分自身に確信が持てない(自尊心が低い)ときや
状況があいまいなとき
「他者の行動」を基準に判断します。

多くの場合、他者の行動はとても合理的なように見えますが
ひとつ、重要な事実を見落としてはいけません。

それはすなわち、そうした「他者」も私たちと同じように
「他者の行動」を基準に判断しているという点です。

あいまいな状況の下では、みんながみんな「他者」に価値基準を置くため
ときに集合的無知と呼ばれる興味深い現象が生まれます。

「集合的無知」のおそろしさ

1964年3月のニューヨークで、仕事帰りの20代後半の女性が
自宅アパートの近くで暴漢に襲われて殺害されました。

長い間、彼女は叫び声をあげていました。

殺人者は35分の間に3回、路上で逃げまどう彼女を襲い
ついにそのナイフで、助けを求める彼女の叫び声をかき消しました。

この事件の信じられないところは
38人の隣人たちは、アパートの窓際という安全なところから見てるだけで
誰ひとりとして、警察に電話をかけることすらしなかったのです。

彼女が息絶えた後になってようやく、目撃者の1人が電話をかけたのです。

メディアは「冷たい社会」、「都市の非人格化」を声高に叫びました。

一方で、2人の心理者ビブ・ラタネとジョン・ダーリーは
メディアとは別の視点から、この事件の目撃者の心理を分析しました。

彼らは、人は誰かが緊急事態に陥っている場面に遭遇しても
他に多くの目撃者がいると、人助けをしなくなるだろうと考えました。

第1の理由は、分かりやすいものです。

目撃者が何人もいると、一人ひとりの個人的な責任は少なくなります。

「ほかの誰かが助けるだろう」とみんなが考えてしまうので、
結局、誰も助けないというのです。

第2の理由は、集合的無知として説明できます。

人は状況が不明確なときは
周囲を見回して「他者の行動」に手がかりを求めます。

他の目撃者がどのように反応しているのかによって
その出来事が、緊急であるのかそうでないのかを知ろうとします。

ただ前述のように見落としやすいのは、その出来事を見ている「他者」も
やはり社会的証明を探し求めている
ことが多い、という点です。

私たちは、落ち着いていて取り乱さない人間だと人から見られたいので
緊急性が高いと思われる出来事に遭遇しても
平然とした様子で、何気なくチラッと周りの人たちを見がちです。

そこで誰もが、「慌てず行動しないでいる他者」を見ることになります。

結果、社会的証明により、その出来事は緊急でないと解釈され
ときに、凶悪犯罪でさえも見過ごされてしまうのです。

あなたが助かるためには…

では、あなたが人ごみの中でなんらかの発作を起こし
他者の助けを必要とした場合、どのように助けを求めたらいいでしょう?

「鍵」は、人が集団になると援助をしなくなるのは
不親切だからではなく、確信が持てないから
なのだと気づくことです。

①本当に緊急事態なのか?

②行動する責任が自分にあるのか?

こうしたことに確信が持てないので、援助をしないのです。

人は、緊急事態であることがはっきりしている状況で
それに介入する責任が自分にあることを確信すれば
直ちに助けようとするものなのです。

ですので、群衆の中であなたに緊急事態が起きたとして
だれか第三者に助けてほしいのなら
その人だけを見つめ話しかけ、まっすぐ指を指し、ほかの人は無視します。

そして一言。

「そこの青い服を着ているあなた!あなたです!
 
 助けてください!救急車を呼んでください!」

ザ・心理テクニック

・人は同じ行動をする人が多ければ多いほど「正しい」と判断する

・人のフリみて我がフリ決まる

・群衆の中で誰かが倒れていてもだれも助けないのは
 決して社会が冷酷になったのではなく
 自分に責任があるのか、そもそも緊急なのかが「不明確」なだけ

・だから、もし群集の中で緊急事態に陥ったら
 具体的に特定の一人に対して、その人に緊急であることを伝える

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